※ 長野市外、長野県外の方も歓迎します 令和2年度・令和3年度・令和4年度 長野県地域発元気づくり支援金活用事業
〒381-0037 長野県長野市西和田1-4-15
受付時間 | 9:00~18:00(電話問合せ対応は平日のみ) |
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定 休 日 | 日曜・祝日 |
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月 会 費 | 3,300円(税込・レギュラーコース) |
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【ラジオ初めてとは思えないリラックスの岡田さん】
実直な理工系のお仕事を定年まで
「私はごくごく普通のサラリーマン人生を定年まで送っただけですから、ラジオで話す内容なんてありませんよ」と放送日前まで話されていて、出演を危惧されていた岡田仁行さん。
しかし終わってみると、岡田さんのお話は、世の男性陣みんなに、
” そうだ、そうだ、俺もそうだ "
と安心感を与える内容だった。
会社勤めの時代は、昼間は家に居ない夫。奥さんの立場に立つと、それが定年後は毎日" 角突き合わせ"、「あなた、たまにはどこかに行ったら?」。無理のない発言だ。
たまたまほっとパルを見た奥さん。
「あなた、山ガールいっぱい参加の、365日大学主催のトレッキングがあるわよ」
「これに行ったら、" 山ガール "か。よし行ってみよう 」と。
そこで、365日大学の小山校長につかまった・・・。以後は、・・・・・・。
こんな素敵な話をしてくれた。
(校長 小山秀一)
【家内の一言で365日大学へ】
【やはり緊張しましたよ】
【粋なお二人です】
「おじいちゃん、社長辞めたらどうするの?」
いいお孫さんである。
南澤さんが社長を息子に譲り、会長になると宣言したとき、可愛いお孫さんが
「おじいちゃん、社長辞めたらどうするの?」と。可愛い発言である。
妻は数年前から、仕事人生から自分の人生へ切り替え、シニア大学に、お花に、お踊りに、生け花に、活躍の場を変えた。
自分はまだ何も決めていない。そんなとき、SBCラジオで「365日大学生、ただ今参上」が放送された。
” これだ ” 間髪入れずに電話した。
こんな話からスタートし、どこにもなかった男性用小便器の自動水栓化器具を開発したエピソードに話が展開した。ずっと技術開発畑に勤しんできた南澤さんの話に聞きほれた。
(校長 小山秀一)
【にこやかに語るお二人です】
【収録終わり、ホッとお二人です】
【紳士なお二人です】
軍人の父の遺伝子を引き継ぐ、チャレンジ精神いっぱいの安江さん
生まれは岐阜県白川村。父は戦車部隊を率いた職業軍人。戦後GHQから払い下げられたトラックを活用して、北佐久郡芦田村で、”三矢工業(株)”という土木事業を創業。
次男として誕生した高治さんは、高校卒業後、名うての北野建設(株)に就職。5年の修業を終え、父が創業した三矢工業に転職。
以後、土木、舗装、砂防工事などを手がけ、建築部門進出とともに建築部門の責任者に。
25年前、長野支店独立と共に、ミツヤジーホーム(株)を立ち上げた。
防音効果の高い地下室付住宅を中心に、今は3メートルの水圧に耐えられる耐水害住宅の開発に余念がない。
(校長 小山秀一)
【スタート前の緊張ほぐしのために】
【放送中は和やかに、和やかに】
加藤元次さん、校長・小山とは竹馬の友
野球がプロ級だった加藤元次さん。野球が縁で、高校卒業して当時のカローラ長野に就職。3年で全県№1のトップセールスマンに成長。その後、5年連続でトップセールスマンとして活躍。
しかし、ここに甘んじなかったのがスゴイ。どうせ苦労するのなら、自分や家族のために、と独立。当時姉がパートで勤めていた東京・新宿№1の焼き肉店に修行に入る。
通常5年かかるのを、昼夜休みなく働き、2年で免許皆伝。長野で初の本格的焼肉店『長春館』を開業。悪戦苦闘を経ながら、今では「本格的焼肉なら『長春館』」と、緑町本店、駅前店(店名:ミスジ)、青木島店(店名:カブリ)の3店舗経営。
かたわら、これまたプロ級のゴルフでは、73歳という年にもかかわらず、長野県アマチュア選手権でトップ20常連の腕前。
狂牛病やコロナに負けず、一流焼肉店の看板で躍進し続けている。
(校長 小山秀一)
【番組スタート前はやはり緊張気味です】
【番組が進むにつれ、笑顔になっていきます】
【おすましのご両人です】
つれづれ散歩道に「365日大学コーナー」が誕生して2年目に入りました
学校の先生を経験し、物腰の柔らかさ、温かな語り口からは想像もできない、【特殊車輛・運搬会社】【解体業】の父親創業の会社を引き継いだ。
時には作業着を着て、特殊車輛を運搬する。
華奢な体のどこからそんなパワーがほとばしるのか。
家屋解体の折、その家族の遺品をどう残すの相談の中、終活コンサルタントの道も開く。
「私は好きだな~。ほわぁ~と暖かい、なっちゃん」の声援に押され、アッという間に時間が過ぎました。
(校長 小山秀一)
【開始前の緊張の時】
【始まったら快調、快調。アッという間の15分】
つれづれ散歩道に「365日大学コーナー」が誕生して2年目に入りました
小山と武田さんの思いが叶って、SBCラジオの人気番組『武田徹のつれづれ散歩道』に365日大学コーナーが登場して、2年目になりました。
365日大学生がラジオに出演して、それぞれの歩んできた人生を語る。ごくごく普通の人生を歩んできた人が、ラジオに出演する。普通では考えられない番組づくり。パーソナリティー・武田徹さんの引き出し方がバツグンで、始まる当初は緊張で声も上ずっていた皆さんが、アッという間に15分間をしゃべり切る。聴衆者にも、「こんな生き方があるのだ」と深い感銘を与える。いいコーナーになりました。
当日は、妻が数日前、日赤に緊急入院したにもかかわらず、快活に語る校長・小山。動じない精神力が365日大学に宿っている。
(校長 小山秀一)
【開始前、「アッという間の1年だったね」と語る、仲の良い2人】
【気心あった2人。快調に進行していきます】
【お二人共、いい顔しています】
ヤンチャな青春時代の精神が基本。
今も何にでも興味。だから忙しい毎日。充実の毎日。
高校時代から社会人生活前半は高度経済成長の真盛りだった。
”オートバイに乗って、全国行脚したい”
まずそのために就職し、最初の会社はバルブ製造メーカーに。
2年間必死に働き、オートバイを購入。
2週間の有給を取り、西日本へ。
戻って、辞表。
そして、次の会社でまた2年間、給料を貯め、東日本、北海道へ。
そして、退職。
以後は、生命保険会社で定年まで実直に働く。
今は365日大学の農園部、ブルーベリー畑の中心人物として活躍。
若い頃のヤンチャ精神は変わらない。
(校長 小山秀一)
【二人共、興に乗ってきました】
【えっ、そうなの。おもしろい青年時代でした】
【武田さんのサインも手なれたもの】
【番組終わってホッとしたのは武田さん?】
≪ 今回、若干アセリ気味の武田さん。何故でしょう? ≫
50歳からの転職は想像以上に難行。
高校時代は「吹奏楽部」。楽器はスーザフォン。誰もやりたがらない楽器だから、自分にまわってきた。高校進学にあたっても、超進学校の長野高校へ。大学は隣県・新潟大学へ。音楽の興味は尽きず、尺八を奏でる邦楽部へ。
就職は当然、東京の音楽会社へ。妻の実家が兼業農家。長女のためいずれ戻らなければと覚悟。妻の姓になり、50歳で本人だけ妻の実家に帰省。転職するもままならず、想像以上の転職探し。今の姿を見る限り、そんな苦労した人とは思えない。
ラジオを聴いた、若い365日大学のメンバーからも
「つれづれ散歩道、radikoで今聞きました。学生時代は音楽演奏に燃えて 仕事ではコミュニケーションを武器として営業のプロ
家業もあったり 都会で暮らしながら 農業もお手伝い!
今に至り 365日大学農業部のリーダー
かっこいいですね!
苦労は買ってでもしろ というように 色んな経験や努力の積み重ねの大切さを感じました。
ラジオお疲れ様でした♪」
こんなメッセージが寄せられました。
(校長 小山秀一)
【開始前、校長・小山とツーショット】
【武田さんがスタート前、坂口さんの情報を整理①】
【武田さん、今回必死になって、開始前の整理②】
【さすが番組が始まるや、二人のトークは快調に】
【武田さんの方が緊張?】
中学生のとき既に進路を決めた
放送は生で、9:06にスタートします。当日、8:40の待ち合わせのところ、久保さんは既に8:00に到着。正面玄関は土曜日のため閉鎖しており、放送局の入口がわからない。小山に電話するも、小山は当日携帯電話を不所持。
逆に小山は、待ち合わせ時間になっても久保さんが姿を見せず、ドキドキ。
久保さん、何とか自力で入館でき、そのまま勝手知ったるが如く、4階スタジオへ。無事小山と合流できました。
ご本人曰く「緊張する、緊張する」と、本番前トイレに3回。しかし、本番が始まると、”女性は強い”。話すや、話す、快調に舌が躍る。パーソナリティーの武田さんの方が逆に ”合いの手”を入れるのが間に合わない。アッという間に終了の時間が来てしまいました。終りのテーマ曲を入れながら、そこはベテラン武田徹さん。キチンと放送時間内で区切りをつける。
「生放送って、スゴイ!」とつくづく感じながらの、久保美栄子さん登場でした。
(校長 小山秀一)
【本番前、若干の下打ち合わせ】
【お互い緊張もとれ、いい感じ】
【終わった後、「365日大学生参上」の後に放送される、鬼無里の『いろは堂』の女将さんと】
【武田さんからの色紙】
多面体? の人生を語る ~若き日の初恋の話も
番組終了と同時に、365日大学の仲間より続々感想が寄せられました。
その一部をご紹介します。
そして、吉澤さんの返信です。
【武田さんからの色紙】
「つれづれ散歩道」に登場する365日大学の生徒の皆様は本当に、いろんな人生を送ってきた方ばかり。今回の吉澤さんは特にそう。
20代の東京の初恋の人が、吉澤さんに会いに来る途中、軽井沢で車での不慮の事故死。それを今でも切ない記憶として残し続ける吉澤さんは、いつまでも青春そのものです。
(校長 小山秀一)
【放映前の少しの時間】
【放映中】
【9:05登山口出発、12:15ついに山頂登頂。万歳も実感こもる】
【中社ゲレンデ前の駐車場に集合(8:30)。ガイド&リーダーの関崎さんから注意事項と準備体操】
10月27日(木)、秋も深まり紅葉も山は最終段階の時、365日大学のメンバーと一般の人14名で、長野市の飯縄山登山にチャレンジ。
世は上げてシニアの登山ブーム。365日大学の関崎さんは登山の大ベテラン。なら指導を仰ごう。関崎さんガイドなら安心。一般の人にも呼びかけたら、大人気。申込者が相次ぎ、途中で募集締め切り。それでも14人の大所帯。
その中のお一人に、シューマートのシューフィッター玉井大地さんも参加。関崎さんのアシスタントとして大活躍。特に下山途中参加者のお一人が足がつってしまい大ピンチ。グループを二つに分け、早めの下山グループとゆっくり降りるグループに分け、無事出発点まで帰着。
【中社ゲレンデ前の集合場所から、神告げ温泉前、忍者村を通り、登山道に向かいます】
【さあ登山道につき、これからいよいよ飯縄登山開始。まずは落ち葉を踏みしめて、余裕しゃくしゃく】
【最初は足取りも軽く、話題も豊富に出て、トレッキング気分】
【途中には霜柱も。滑らない様しっかり踏みしめて登ります】
当日は絶好の快晴に恵まれ、「今日は富士山見えますよ」との関崎さんの予想通り、途中富士山が見え疲れも癒され、雪が覆われ始めた、北アルプスの槍ヶ岳、鹿島槍、白馬山、などそうそうたる山々を拝顔。登山ならではの清々しい楽しみを満喫。
私も子供が小学生の頃、連れて登った以来35年ぶりの登山。果たして登れるかの心配がありましたが、頂上についたときの達成感、これが登山の魅力なのだと実感しました。
(校長 小山秀一)
【30分登ってきました。まずは軽いストレッチで足伸ばし。立ったままの休憩がポイント、とガイド&リーダーの関崎さんよりアドバイス】
【眼下に戸隠村集落が。右手前が戸隠山。鏡池から見る戸隠連峰とはイメージが違います】
【左手奥に、クッキリと富士山が浮かびあがって見えました】
【標高が低い飯縄山とはいえ、こうしたゴツゴツ岩の上を登らなければ頂上にたどりつけない】
【ヤレヤレ。なんとか9合目にたどりつきました。
さあ、あと15分で頂上です】
【頂上はゴツゴツの岩と笹だけ】
【信毎時代の同期・依田泰行君も参加してくれました。共に早大の仲間】
野沢温泉観光協会と協力して、野沢温泉・上の平(海抜1700メートル)の森にブナの木の植林を始めて、14年になります。明治時代の殖産興業の一環で、ブナ林の一部が成長の早い杉の木に植え替えられ、伐採後は牧草地で使われたが、牛がいない後は荒れ地に取り残された。再びブナ林に戻そうと村が考えていると知り、ほっとパルも協力しよう。協力するなら、「100年構想」で行こうと、2009年に植林活動がスタートしました。
毎年夏の後半、長野市内のファミリーに呼びかけ、ブナ林散策も兼ね、年一回実施してきました。まだ森には程遠いですが、14年前に植えた30センチ程度の苗木は成長し2メートルを超え、ブナの顔つきが表れ始めました。
10月22日、ブナの成長を妨げないよう、ブナの木の周りに濛々と生い茂っている下草、特に3メートル近いカヤの木を、365日大学のメンバーとほっとパルのスタッフで下草狩りに精を出しました。
森に到着する前、海抜1300メートルの高台から、野沢温泉村一帯に広がる「雲海」に遭遇する幸運にも恵まれ、秋の終わりの一日、山一面が紅葉に飾られた錦絵を楽しみながら、爽やかな汗をかきました。 (校長 小山秀一)
植林地域到着前の9時頃、なんと野沢温泉村一帯をおおう、雲海が出現。大感謝の一瞬でした
野沢温泉観光協会の森・前専務が、我々の行為に感動し、助っ人で参加。「ほっとパル100年の森」創設のいきさつをしっかりレクチャーしてくれました。
いざ、現地へ
このカヤ、花粉がスゴイ
悪戦苦闘の中、多人数でアッという間に完了(1時間程)
こんなに清々としました
ブナの木がどこにあるか、わからないほどの「カヤ」が一体に大きく伸びています
刈り取ると、ブナの木がしっかり成長していることを実感
やはり「飲水タイム」は必要。
みなさん差し入れのお菓子をパクパク。
~ 高校浪人の経験が自分の原点 ~
叔父さんが歯医者さんをやっていた。小さい頃、叔父の家に遊びに行っていた。
「自分も歯医者になる」
そう志高く思っていた宮坂伸君。
高校は当然地元進学校の諏訪清稜高校を受験。
結果は、春になり、自分はホームの反対側に立つ、下りの電車で松本の予備校へ。同級生は晴れて金ピカの帽子を被り、上りの電車で上諏訪へ。なんとも言えない惨めさ・・・。
この経験が今となっては嬉しい。人の痛みがわかる歯医者さんになった。
七年に一度の諏訪の御柱祭の大総代を今回担えたのも、祭りに参加できない、晴れ舞台に立てない人々の気持ちが痛いほどわかるから・・・。
今自分と妻の病を乗り越えた人生の味を武田徹さんと語るその姿はなんと清々しいことか・・・。
(校長 小山秀一)
【武田さんから宮坂さんへの色紙】
【今年無事終了した諏訪御柱祭の説明を身体で表現】
【苦労を感じさせないお二人】
【放送が終わって校長・小山とガッチリ握手】
~ 2008年、妻に余命数カ月とのガン宣告 ~
生きられるだけ、もらった命と妻と二人、日常生活の中での時を過ごし7年。今はあの時の明るかった妻の笑顔が励み。
木版画家 塩入久さんの体験は、パーソナリティーの武田徹さんならずとも聴衆者に大きな感動を与えた。
塩入さんの現在の木版画家としての活躍は、小学生時代、担任の田中百合子先生の一言「塩入君は絵がうまいね。」
そして、木版画での先生とのやりとりが毎年続いたのだ。その年賀状は35枚手元に保管されている。
大工だった父の影響もあり、塩入さんは小さい時から木に親しんでいた。
(校長 小山秀一)
【武田徹さんと和やかなツーショット】
【塩入さんの素晴らしい経歴が語られていく】
【武田さんから塩入さんへの色紙】
10月1日、今年度みんなで育ててきた365日大学田んぼクラブのお米の脱穀が、秋晴れの晴天の中終了。終わって収穫祭も。
今年は梅雨がなく、一気に夏に突入。水が心配でしたが、夏場に梅雨が訪れ、夏の終わりには長雨で、「田んぼの天日干し」ができないという状況だったのですが、365日大学が毎日講座前に唱えている「ついてる音頭」のせいでしょうか? 収穫はなんと昨年比ほぼ約20%増。
8:30にスタートした作業は、ほぼ予定通り12:30終了。その後、豚汁とBBQを楽しみました。豚汁とBBQには突如参議院議員も訪れ、楽しい2時間過懇談しました。参加人数20名。
この数は今は考えられない数で、脱穀を夫婦二人でやる農家が増え、また高齢化によりすべて農協にやってもらう農家も増えた今、我々の大人数でやるコミューンはうらやましがられます。
稲刈り、脱穀は田園の風景を一段と感じさせる、農村文化。
いつまでも残していきたいと感じる一日でもありました。
9月19日(祝日・敬老の日)、祝ってもらう年齢の多い365日田んぼクラブの面々ですが、敬老の日に目もくれず、365日大学水田の稲刈りに没頭。
最大規模で迫る台風14号と、この時期に似合わず毎日30度を超える暑さの中、果たして体力が持つのか危ぶまれる中、男性12人、女性7人、子供たち3名、総勢22名で見事,一反歩半の稲刈りを午前7時半から午後1時半で終了。
稲刈機が入りやすくするため小山校長夫妻が17日午前中で周りを手刈り。当日世話人、小山、坂口、松橋が6時に集合して段取り。今時これだけの大人数でやる稲刈りは見たことない。365日大学の水田はこうした大人数でやることに意味がある、これからの時代、お米作りを通しての、コミュニテ―づくり。と、農業も「脱炭素社会」を睨んでの稲策作り。
ということで平均年齢73歳の面々が汗をかいた。このことが新しい社会のコニュニティーづくりにつながり、ハゼ掛け米作りを通して、日本古来の農村文化の継承をつなげていく一日でした。収穫は豊作です。昨年より多いのではと来週の25日の脱穀が楽しみです。
(校長 小山秀一)
~ バンカーとして6年間のニューヨーク支店勤務が今のライフワークを作る ~
バンカーとして上りつめると、普通その後の人生なかなか凡人としては暮らせない。
しかし、関崎さんは、登山を楽しみ、スキー指導員としても活躍する。秋になれば「きのこ博士」のごとく、山きのこを堪能し、松茸も年に何本も採る、という。
人生最高の楽しみ方をしっかり身につけた関崎さん。温和な口調で武田徹さんの問いかけに応えていく。
聴衆者のみなさま、365日大学の会員にも大きな刺激を与えてくれた放映でした。
(校長 小山秀一)
【放送前ツーショット】
【旧知の間柄で放映前もリラックス】
【放映は穏やかに進行】
県職42年、実直な人生語る。
ラジオ後の反響が多かった。
『3人の知事の下での仕事は大変だったでしょう。特に田中知事の下ではご苦労だったかと思います』
『田中知事が長野県短期大学に講演に来られたときの様子が目に浮かびます』
『実直な方であればこそ、大変な県職42年だったかと思います。ご苦労様でした』
『県職員42年。職務上、様々な難局を経験され、現在は俳句とボーリングで脳と健康に留意される日々。365日大学は前向きな方が多く、仲間づくりに良いとPR。会員の一人として誇りに思います』
こんな声に代表される実直な松澤さんの語り口は、ラジオ放送を聴く多くの聴衆に感動を呼び起こした。
また、放送中にふれた自費出版のタイトル「なみだ目の日曜日」という随筆集を読んでみたいというリクエストも寄せられた。
松澤さん、お疲れ様でした。
(校長 小山秀一)
【放送が始まる前、松澤さんが登場する『人生、午後4時』を手にするご両人】
【放送前の一瞬の和やかさ】
【真剣に番組は進んでいきました】
【収録が終り和やかに談笑】
今回の登場は、松橋信雄さん(74歳)。
横浜の郵便局に勤め、組合の執行役員も経験。その後、地元に戻って会社の専務まで経験された、44年のサラリーマン人生を、パーソナリティーの武田徹さんのインタビューに応えながら、穏やかにお話されました。
ラジオを聴いた方から、放送後、たくさんのメッセージをいただきました。
『穏やかな雰囲気でありながら、しっかりとした芯をお持ちのお人柄と見受けられました』
『1歳違いの団塊の世代。そうだ、そうだと頷きながら聴きました。自分も農家の長男。実家に戻るのは同じ運命ですね』
『私と同じ年月の生まれで、農家であり同じような幼少期でした。体を動かせることが健康の証。お互い後期高齢者になっても頑張りましょう』
『私も若い頃、労働組合でいろいろ学ばせていただきました。メーデーの日はかり出されて行きました。農家さんの気持ちがわかる人が365日大学にいらっしゃったことが嬉しかった』
実直で誠実な松橋さんのお人柄がでた放送でした。 (校長 小山秀一)
【お二人の真正面な性格が表れています】
【スタート前ですが、すっかり緊張はとけました】
【枯れ始めたか?】
【まだ紅葉するには早い】
長野市篠ノ井東福寺のブルーベリー畑。
6月19日に植え付けが終わり、順調に成育が進むと思いきや、まだ夏の真っ盛りなのに、葉っぱが紅葉してきています。
畑がブルーベリー畑に合わない。元水田の耕作放棄地故、水はけが悪く、粘土質故、ブルーベリーのやさしい根が伸びていかないのです。
結果的には、杉の針葉樹を活用しての寝床づくりからのやり直しです。
日中は30度を超える暑さのため、早朝6:00、7:00にみんなで集まり、ブルーベリーの寝床づくりからやり直しました。
ブルーベリーさん、頑張って。みんなのために枯れないで…。
(校長 小山秀一)
【終った後の飲水タイム。暑さを忘れます】
【もう一度水槽に浸して、固まった根のぼぐしに挑戦】
~幼子残し妻急逝。本人36歳、中村隆さん43歳のとき。あれから30年。~
「人生で今が一番幸せ」
365日大学生徒の中村隆さん、現在73歳。先日のSBCラジオつれづれ散歩道で、パーソナリテイ―武田徹さんにこんな話をされた。「人生で今が一番幸せです」と。
中村さんがこの幸せにたどり着くまで、人生の辛酸を30年なめてきた。長野商業を卒業し、東京の住友銀行というメガバンクに就職。入行して周りを見れば、東大はじめ一流大学出ばかり。これでは、鼻から出世の希みなし。一年で銀行に見切り。親類の縁で大手量販店に転職。高度経済成長の波に乗り、猛烈サラリーマンを送っていた6年。いつもの通勤の駅で階段の上から下を振りかえったら、背広を着た黒鼠が大軍をなしてゾロゾロ階段を上がってくる。この黒鼠に自分もいるのだと思った瞬間、「長野に帰ろう」。
かくして都会生活に見切りをつけUターン。友達と運送業を始めた。運営は順調に進んだが、友達の金遣いが悪く、いつしか友達に借金の山。その返済に関係のない中村さんが奔走。
昼は運送業。夜は友達の奥さんが経営していたクラブでボーイ。借金が終わり、ついに中村さん自立。当時流行り始めたコンビニに目をつけ「ヤマザキデーリーストア」を経営。
運送業時代知り合った奥さんと恋愛結婚し子供3人に恵まれ、お店も4店舗経営の順調な歩みを始めて10年。
「不幸は突如やってくる」
奥さんが急遽病院に担ぎ込まれる。会話を交わす暇もなく、白血病で奥さんはあの世に。奥さん36歳、中村さん43歳の時だ。
涙は滝のように流れ、一夜にして黒髪は真っ白、白髪に。でもいつまでも泣いていられない。小学生二人、幼稚園児一人を育て上げなくては。義母が家に入ってくれ、再び中村家に火がともった。
【「人生、今が最高」開口一番に武田さんに語る中村隆さん】
【徹さんの色紙書きもお手のもの】
あれからもう30年。夢に出た妻がいつまでも醒めないようにと願ったことも今は昔。次男夫婦と同居し孫の理恵ちゃんと365日大学のZOOMに出るのが楽しみ。
365日大学のメンバーと「蜂蜜」を作り、畑を耕しお米も作る。55歳から始めた尺八は、いずれ世界一周の船旅が実現したとき,航路の船中で日本文化を披露したいとの思いから始めたもの。お琴のメンバーと合奏できるまでに少しは上達した。
どんな逆境がこようとも、それは神様が自分に与えてくれたチャンス。こんな前向きなとらえ方が、今の中村さんからオーラが発せられる所以。中村さんから光が発しているのは、頭からではなく、心からの輝きだからだ。こんな人生体験の人がいる365日大学だ。
と、対談の最後、武田徹さんがいつになくSBCラジオを聴く皆さんにさらに365日大学入校を薦めてくれた。
(校長 小山秀一)
【いよいよ準備。若干の緊張感】
【真剣な面持ちです】
【番組がスタートしたら快調です】
【アッという間に終了です】
「あなたは何を始めますか。何を変えますか」
この新聞広告コピーを目にした松林營さん。早速365日大学の門をたたいた。
人生の後半、そろそろサラリーマン、経営者の総決算の時期を迎えたとき、松林さんが勤め、専務として経営に携わっていた大手ゼネコンが倒産した。
営業本部長、工事事業本部長に勤しんでいた松林さんにとって、会社がそんな状態だったことを、残念ながら知る由もなかった。
社員の身の振り方、下請け業者さんの関連倒産防止策をすべて講じたあと、松林さんの身にふりかかってきたのは、リューマチとうつ病だった。
悶々とした時を10数年過ごしていたとき、出合ったのが、冒頭のコピーだった…。
こんなやりとりをラジオ人気番組・武田徹さんの「つれづれ散歩道」で吐露した松林さん。まだまだ、人生は続く。
(校長 小山秀一)
【緊張の趣きの松林さん】
【若干のリラックスの雰囲気がでてきました】
【本番はしっかり話されました】
【武田徹さんのサインも手馴れています】
今回の登場は、熊谷加舟さん(93歳)。加舟さんの飯田の自宅より中継。
朝7時40分のリハーサルでは少し緊張気味でしたが、イザ、本番では―。
長野県最南端の村・平谷村に生まれたのが1929年。現在、御年93歳。
平谷の実家は、おばあちゃんが寺子屋をやっていた教育一家。
武田さんとの最初のやり取りは、第2次世界大戦で、弟さんが航空隊の教官で、生徒を引き連れ、終戦の前年に南方の海に散ったというお話から。お国のために死んだ弟さんのためにも、自分も従軍看護士を目指し戦地に赴きたかったが叶わず、飯田市内の病院へ。
15歳で親元を離れ、飯田市内のアパートで一人で自炊。夕方になると平谷村が恋しく、涙にくれたことも。
23歳で結婚し、20年幸せに暮らしていた43歳の時、ご主人がすい臓がんで急死。涙を流す暇などなく、明日からどう生きればいいか…、悲しみに浸ってなどいられなかった。
……と淡々と武田徹さんに語る加舟さん。
いつのまにか耳を傾けるスタッフの目にも涙が。
【93歳には思えない。声の張りもあり、聴きやすかった】
【淡々と話す内容にスタッフも涙がポロリ】
そして75歳で、今までの商売に見切りをつけ、自ら先頭にたち、20人のスタッフと、「介護福祉士」を目指すために松本で1ヶ月泊まり込んで、資格を取得し、介護ビジネスに入る。
そのバイタリティーとチャレンジ精神は多くの聴収者に、夢と希望を与えたに違いない。
(校長 小山秀一)
【SBCに早速、聴収者より】
・母が認知症で、足も弱り、杖の生活で、「介護のかふね」さんには随分お世話になりました。”かふね”は人の名前だと聞いていましたが、今聴いて、バイタリティーあふれる方で、聴いてよかったです (高森町・Tさん)
・かふねさんのお話、生きた歴史を感じました。とてもいいお話を聴けて、元気になりました(原村の方)
【終わって、ホッとする加舟さん】
【武田さんから加舟さんへの色紙】
最初に塩入さんから、竹林の説明
まずは竹林整備
ブルーベリーの添え木に良い竹を
365日大学の会員の塩入久さん(木版画家、風景印推進家)が、実家の信州新町に淡竹の竹林を所有しています。この時季になると、竹林からノキュノキュと小太り淡竹が地面から顔を出します。
この淡竹、シナチクにしたり、軽く電子オーブンで焼いてマヨネーズをつけて食べたりと、その食感は“通”ならずとも、何ともいえない絶品の食材です。
雪の重さに耐えた竹
シニアなので、休憩が大事
現地で、竹の子料理の講習
(塩入先生)
昨年から365日大学では、この竹林の整備を兼ね、この時季、竹の子狩りを実施しています。今年は6月9日(木)、365日大学のいつもの講座を終わってから、総勢11名で、11時に集合しお昼をはさんで14時まで、汗を流しました。
男性陣は、今年からスタートするブルーベリー農園の、ブルーベリーの添え木用の竹を100本切り出し、女性陣は、その間竹の子狩りに精を出しました。梅雨入りの宣言がされたばっかりでしたが、大学の講座前にやる『ついてる音頭』のおかげで、これ以上ない好天の中、楽しむことができました。
女性陣は竹の子狩りに大奮闘
体にムチ打ち、よくやったネーと
労をねぎらうお二人
そんなに多くの収穫は
ありませんでしたが…
天気予報は若干の雨降り予想。が、当日は好天に恵まれ、絶好の田植え日和。
昨年と同じ8:30集合、9時開始。何と、10時30分にはほぼ完了。
昨年は12時までかかったことを考えると、さすが2年目の学習効果バツグンか。
隣の水田の矢島さんも当日田植え。杉尾さんに当日の田植えを見てほしいと声がけ。
杉尾さんが飛び入り参加。
田植えの段取りは、まず苗床から植える稲の刈り取り。植え方は、機械植え班と手植え班の二手にわかれ、手植え部隊は、一列か二列やれば、あとは機械植えということでしたが、何とすべて手植えで完了。機械に頼りませんでした。
まさに、”脱炭素農業”でした。
手つきもよくなってきました
この泥んこです。
素足も勇気がいります
小学生の、スタッフの甥っ子くんも
元気よくチャレンジ
初参加の宮崎さん。堂々としたものです
隊列も整って
終了の乾パイ。これが楽しみ
365日大学は毎日、授業開始前に必ずこの「ついてる音頭」
♪ツイテル ついてる ツイテルネ♪
をして、授業を開始する。
この「ついてる音頭」馬鹿にならない。
毎日実践していると、とんでもないツキが付く。
先日5月27日、365日大学は初夏の里山トレッキングを計画した。ところが前日、『翌日は雨』との予報。
予報はドンピシャで当たり、当日6時、7時と土砂降り。
リーダーの関崎さんと相談し、やるかどうかの判断は、前日、当日朝7時、8時と、数回に及んだ。
私も含め誰もが、『この雨だ、中止だ』と思った。ところが関崎さんは、
「開始時間を30分遅くしましょう。遅くしたら、その間に雨前線は通過して晴れになるから」と。
さすが見るところが違う。
【雨上がり 本当に新緑が爽やかな初夏のトレッキング】
参加者の皆さんには、当日朝7時に、状況推移を検討していることを伝え、最終的に8時に、「決断して、開催する」とお伝えした。
不思議なものが。申し込み順の早い方は、「うれしい。中止と思っていたのに、やっていただけるのか」と、電話口からお相手のイキイキした反応が聞き取れ、申し込み順の遅い方になるに従い、「大丈夫ですか…」とおっかなびっくりの狼狽気味のご様子が伝わってくる。
【雨上がり 遠く志賀山 焼額山 菅平方面が見え、絶景の里山パノラマ】
【トレッキングの副産物 フキの山菜採りに勤しむ参加者】
結果、参加者は当初の半分になったが、開催した。
出発前にあれだけ降っていた雨が出発時間にはピタリと止み快晴そのもの。
初夏のトレッキングを待ち望んでいた皆さんと、雨に濡れた新緑の里山トレッキングを楽しみました。
決断の大切さをかみしめた、初夏の里山トレッキングでした。
(校長 小山秀一)
今回登場した、丸山勝さん(78歳)。
今から約30年前、突然脳梗塞に見舞われた。しかも当時丸山さんは、長野市有数の葬儀会社・博善社の社長だった。
その日は午後になってなんとなく頭が痛く、しばらく社長室で休憩していたが、症状が和らがないので、事務員に「自宅に帰って休むわ」と告げ、自分で運転して芋井の自宅に戻ったという。
結果即入院。以来、脳梗塞の後遺症で右手はきかず、左手1本の生活が始まる。
博善社の社長を退いた後も、芋井住民自治協議会の会長を引き受け、芋井地区の活性化に汗を流し、自宅の30度はあろうかの段々畑でのリンゴ栽培にも精を出す。
健常者でも音を上げそうな、30度近い傾度の崖を、”ビーバー”で左手1本で草を刈るというのだから、その精神力は半端ではない。こんな生き方をして、年を取ることは素晴らしいという表現以外、見当たらない。
こんな話を武田徹さんと対談し、アッという間の18分でした。
(校長 小山秀一)
【まずは、青木先生の試技】
【高齢者の皆さん、熱心に聞いています】
高齢者の参加が多くビックリ(80代:2名、70代:2名、60代:1名、50代:2名)
皆さん、体験は初めて。講義を聞いているときは、「飛ぶかしら」と心配していた皆さんが、いざ本番になり、【的】にバッシ、バッシと音がすると、俄然勇気が出て、ドンドンチャレンジ!
最後は2ゲームの試合形式で、【吹矢】のおもしろさを体験しました。
1位には、賞品「ネスカフェゴールドブレンド」。
獲得した市川和子さん(68歳)、「えっ? 私が1位? 嘘?」。
でも、ウクライナ問題で、食料品が値上がっているので、「コーヒー」をもらえるなんて最高! と感想をいただきました。
(校長 小山秀一)
【マグネット健康吹矢の効能についてレクチャー】
【初めてとは思えない上達の速さ】
今回は、京都府八幡市にお住まいの、宮川紀雄さん(85歳)登場。
宮川さんのご自宅と、SBCのスタジオを結んで、実況中継されました。
宮川さんは現在85歳。戦争時、名古屋に疎開中に大空襲にあい、無差別攻撃を受けながら生き長らえたのが不思議。
東京に戻ると、東京の町は新宿から池袋一面廃墟で、ずっと見渡せたと言う。
【まず始める前に画面越しで、武田徹さんと握手から】
【いよいよ本番に入ります】
【武田徹さん、念入りに原稿チェック】
その後、九州に家族が転勤。小倉高校、九州大学へと進み、高校・大学を通じて山岳部。夜行列車で北アルプスへ。「九死に一生」は日常茶飯事だった。
社会人となり、宇部興産、三菱レーヨンで、アメリカ、ヨーロッパ、アジアとかけ巡った、戦後高度経済成長の申し子。
今は、テニスに、365日大学に、化学文献の翻訳にと、年を感じさせない生き方。
こんな話を武田徹さんとよどみなく、京都からという遠距離を感じさせない対談でした。
(校長 小山秀一)
【生田ディレクターとも事前チェック】
【本番中、武田さんとは
画面越しで対談】
【本番中】
【ディレクターの席の前にも】
【終わった後は笑やか】
5月1日に「苗床づくり」をした後は、少し時間をおき、その苗床に「苗が育つ」種をまく「すじまき」が必要です。
5月7日(土)、新人の宮崎清さんを交え、総勢12名で、「すじまき」が完了しました。
(校長 小山秀一)
【まず、発会式・朝礼】
【固くなった苗床に水をまき、
表面を鏡の様にピカピカに】
【育苗箱に入れる土壌づくり】
【育苗箱へ土入れ】
【種を入れる作業。育苗箱に1列50ケの種を入れていきます。なかなか力が必要です】
【苗床に育苗箱を効率よく配置する】
【苗床があまり乾燥しない様、新聞紙を。
新聞紙には、ジョロで、水をかける】
【ほぼ完成。ここにビニールを上にかけて終了】
【終わった後は、みんなで ”乾杯” 。これが楽しい】
参加メンバー(敬称略):坂口、松橋、北村(宣)、中村(隆)、中村(雅)、宮崎、上條、青木、佐々木、小山秀子、校長・小山
5月5日(祝日)は、ブルーベリー苗木の「さし木」を。
今年はブルーベリーの苗木は里親の元にあり、畑にまだ植えていないのですが、既に来年の準備に入りました。
苗木を手配していただいた「上高地ブルーベリー農園」様から、「さし木」用の枝をたくさんいただきました。
一部は既に4月13日に「さし木」をしましたが、冷蔵庫に保存しておいた残りの枝を全て、5月5日に「さし木」にしました。(75本)
「さし木」用の枝が到着してほぼ1ヶ月近く経つので、濡れた新聞紙に保存しておきましたが、カワカワになっており、果たして”つく”かどうかわかりませんが、丹精込めて削り、「さし木」にしました。
【まずは、カット】
【刀を入れ削るのが難しい】
【4月13日に「さし木」にしたもの(約300本)】
【5月5日に「さし木」にしたもの】
前日の草取りの大変さから思えば、ウッドチップ運びなど、なんのその。
ウッドチップは、たい肥ではないので意外と軽く、女性陣も大活躍。
【うず高く積まれた山をひとつずつ切り崩し】
【ブルーベリー園の前を通る農家の人も、
この山見てビックリ】
【ミノ、バケツ、手製段ボール箱…
入れ物工夫して、ウッドチップ運び】
【前日の草取りの大変さから思えば、
ウッドチップ運びなど、なんのその】
アッという間に、一反歩の畑にウッドチップ蒔きが完了しました。
途中、ウッドチップを入れてくれた、豊野の「ダイシン」の会長、増尾茂さんが、ウーロン茶、缶コーヒー等、たくさんの差し入れをしてくれました。ありがとうございます。
【女性陣はバケツで運ぶ】
【結構、様になってきました】
【アッという間に完了(一部残して)】
【終わった後は、増尾さん差し入れの
コーヒー等で「ブルーベリー談義」】
そば畑が3年間放置されていたため、地主さんがいったん耕運してくれたのですが、『ウマズイコ』という雑草がしぶとく生き残っており、まず、この『ウマズイコ』の草取りから、ブルーベリー畑整備開始です。
5月2日(月)は平日だったため、校長・小山が一人黙々と作業。翌5月3日(火)憲法記念日は、365日大学農園部メンバーが多人数集まってくれ、午前中しっかり『ウマズイコ』取り。
(参加者: 松橋、上條、中村(隆)、北村(宣)、青木、畑、小山秀子、校長)
【最初は少人数でしたが…】
【段々人も増え会話しながらの作業】
【チョット一息「飲水」タイム】
【こんなにきれいになりました】
連休の前半、5月にしては肌寒い、5月1日(日)生憎の曇り空の中、田んぼ倶楽部・第1回作業が行われました。参加者は、校長・小山、坂口、松林、北村(宣)、中村(隆)、中村(雅)、宮崎、青木、小山秀子の9名(敬称略)。
作業は9:00スタート。お天気具合が悪かったので、早急に済ませようと、昨年の学習効果を踏まえ手際よく、作業を進めました。女性陣は、田んぼの中に際立って大きくなっている雑草こぎ。
途中、楽しみのお茶会を10分ほど開催している間に、雨がポツリポツリ。
お昼を用意し、午後はブルーベリー畑のウッドチップ蒔きと雑草取りの予定でしたが、これは校長・小山夫妻、坂口、松橋、宮崎各氏を除き、中止に。
午後はすっかり雨。中止にしてよかったです。
坂口、松橋、宮崎各氏は、ブルーベリー畑の雑草取りのご協力、ありがとうございました。
(校長 小山秀一)
2022年より新たに活動を開始した、365日大学・マグネット健康吹矢教室。
第1期生として、9名の会員さんが活動に取り組んできましたが、その修了にあたり、2022年4月26日(火)、修了総括競技会を実施しました。
当日は、6名の方が参加され、真剣勝負!
1位、2位、3位の方には、表彰状と記念品が進呈されました。
(校長 小山秀一)
氏 名(敬称略) | 得 点 | |
---|---|---|
第 1 位 | 中村 なつえ | 94.8点 |
第 2 位 | 髙橋 英司 | 76.8点 |
第 3 位 | 松山 眞治 | 61.2点 |
第 4 位 | 上條 比名子 | 59.0点 |
第 5 位 | 畑 昇子 | 54.0点 |
第 6 位 | 松林 營 | 46.0点 |
(牧野嘉一、宮澤和夫、小山秀子は欠席)
【いざ試合となると…】
【精神統一が一番大事】
【武田徹さんとのツーショット】
【本田さんへ色紙のプレゼント】
【本番前のチョット笑やかタイム】
この6月で89歳になる本田襄二さん。
365日大学に通い始めた2021年11月の頃、出てくる言葉は
「早くお迎えに来ないかな。国にも家族にも迷惑ばっかりかけているから」
の言葉であった。
無理もない、本田さんは11年前、愛する妻に先立たれた。『先手必勝』と今ではユニークな表現をするが、先に逝ってしまった。
奥さんは、亡くなる前の夜、本田さんにこう言ったそうだ。
「あなたは料理も、洗濯も、なにひとつできない。私がいなくなったら、困るわよ。これから料理ぐらい自分でやってね」と。
病気で伏していたわけではない奥さんが、突如言い出したのだ。
翌朝、別室で寝ている奥さんが起きてこないので、「飯はまだできないのか」と寝ているほっぺたをはたいたら、冷たかった……。
こんなドラマチックな話が飛び出してきた、「つれづれ散歩道」でした。
(校長 小山秀一)
【本番まもなく。若干の緊張感】
【快調に話が進みました】
365日大学の目指すところは、”健康長寿社会”
2025年には高齢者が約3割に迫り、高齢者の5人に1人は認知症になる、と言われています。
そうならないためには、早めのサキベジ3原則の実施。
1.まず野菜から、しこたま食べる
1.一日7,000歩、運動をする
1.孤立せず、人とコミュニケーションをとる
この3番目の「孤立せず、コミュニケーションをとる」ことが、コロナ以後ますます重要になると考えています。
【青木副理事長】
【まずは姿勢から】
【お辞儀の角度は35度】
マグネット健康吹矢をやることで、楽しくなり、一日が元気になる。それが結果的に肺を活性化し、健康寿命の延長につながる。
そのためのマグネット健康吹矢教室が求められており、その指導者、アシスタントの養成が急務です。
【持ち方の指導】
【腹式呼吸がポイント】
【さあ、どこに当たったかな】
4月10日の第1回目は、6人の方が熱心に、「指導者、アシスタントが求められる意義」を小山校長から学び、実技指導を日本マグネット吹矢協会の青木副理事長より学びました。
【手の持ち方は】
【姿勢が決まってます】
【終わった後は和やかな意見交換会】
【恒例の武田徹さんとのツーショット】
【色紙にサインする武田徹さん】
【スタート前のやわらかなスタジオ】
長野吉田高校に合格し、いよいよ4月から入学という3月、屋根職人をしていた叔父から、『高校行かないで、俺の元で丁稚奉公せよ』との命がくだり、高校へは行けず、屋根職人の道へ。
4年目には独立。10年で屋根工事ベスト5に入るというほど、仕事一筋の道。
結婚してからは毎月家族一人3,000円の旅行積立をし、年1回それを原資に家族旅行。
(校長 小山秀一)
【結構手馴れている宮澤さん】
【快調に話が進みました】
【ニューゴンドーの話もとびでました】
365日大学が耕作する畑、水田は、長野市篠ノ井東福寺という、南長野運動公園から徒歩7分位のところにあります。辺り一面は畑、水田なので、さえぎるものがなく、強風が吹く地域で有名です。
【中村隆さんのお孫さん・りえちゃん4才を交えて】
【酸性になった土壌を苦土石灰で中性に】
畑の開園式が行われた2022年4月2日(土)は、何と風が少しもなく、畑を耕すには絶好な日となりました。
松橋さん、中村雅さん、戸谷さんは所用で出席できませんでしたが、新しく宮崎清さんを交え、9:30~12:00 和やかに開催できました。
準備が整ったので、すぐ種を蒔いたり、苗を植え付けたりしたいのですが、昨年の経験を踏まえ、今蒔いたり植えたりすると遅霜にやられるので、5月の連休前後からスタートしましょうと、それぞれの会員がお互いに素晴らしい情報交換を行うことができました。
さて、今年はどんな収穫ができるか、楽しみです。
(校長 小山秀一)
【新人の宮崎清さんの畑の土耕し】
【終わったあとは、
コーヒーと団子で「和やかタイム」】
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